自己満足の追求:高価なカップ&ソーサーの奥にある欲望

小さな気づき

朝起きて

最初に飲むコーヒーを

ステキなカップ&ソーサーで始められること。

とっても幸せ。

 

新しい

カップ&ソーサーを買おうかなと

考えていたけれど。

 

本当にほしいのかな?

何が欲しいのかな?

その裏に、隠れた気持ちがあるのかな?

 

なんでそんなことを思うのかというと

自分の好きなブランドの

カップ&ソーサーが

今、8客。

ちょうどよく、

飾るように並べて

ひとつの棚におさまっているから。

 

 

もし、新しいのを買ったら、どこに置く?

2つは、プレゼントでいただいたもの。

これが、最初の出だし。

そこから、

本当に好きな物を

高価だなと感じても

買うようになった。

 

来週は、洋食器屋さんに

買いにいきたい。

欲しい気持ちが強いから

買おうと思う。

自分へのご褒美だ。

自分は、それに値する。

高価なカップ

コーヒーを飲むという

贅沢をしてもいいのだ。

 

それを、私は

自分自身に許す。

そのことで、私は

豊かな気持ちを育む。

 

高価なカップならいいというわけでもない。

私が、好きなカップ&ソーサー

そして、それを手に入れるため

お金というエネルギーを

自分が出した。

そのことが、重要。

そして、そのエネルギーで

十分に自分を満たす。

 

自分を満たすために

今は、私は、

お金というエネルギーを使う。

 

自分のエネルギーだけで

自分を満たすことができる日が来るだろう。

それまでの

練習のようなもの。

この、地球で

自分を豊かにするための

その感情を味わう手立てとして

やっていく。

 

欲しいものは

実は、

「豊かだな。満たされているな。幸せだな」

そう思う、自分自身の感情なのだ。